探究を学ぶ
こんにちは。
iPhone11を触るたびに「やっぱホームボタンの便利さ」を痛感している管理人です。と言いながら、無いことが日常になるとそんな感情すらなくなるんだろうなぁと思い、感情を日常の当たり前まで昇華することの凄さと恐ろしさを感じています。
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探究とは何か?
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学習指導要領の改訂によって、これまで「総合的な学習の時間」として実施されてきた科目が「総合的な探究の時間」に変更される。「学習」が「探究」になるだけで何が変わるの?って感じですね。
学習の捉え方の変化としては、
・やらされる勉強から「やりたいこと」のための勉強へ
・日常生活の中で様々なことに関心を向ける習慣
・生徒の数だけ探究があるという相乗効果
などが考えられるでしょうか。詳しくはいろんなサイトで説明しているので、ここでは個人の体験から考えてみよう。
探究:物事の真相・価値・あり方などを深く考えて、筋道をたどって明らかにすること
辞書にはこのように定義されていますが、ここの「物事」を「自分自身」に置き換えることも探究になると思います。つまり、自分自身を探究するということですね。
例えば、私は「透明なもの」が好きです。逆に「ザラザラしたもの」「凸凹したもの」は好きではありません。
これは百貨店を回っていたときに得た感覚でした。透明な液体がガラスに入っているものを見たとき、自分の感性が刺激されました。普段の生活ではあまりない刺激でした。
「透明」が自分のどんな感性に響いたのか?それはまだうまく言語化出来ないんですが、なんかこう、シンプルであるがままに在る、というところかもしれません。
この体験から「探究」とは、そのガラス瓶をそれだけで見逃さず「ある事柄(事物)をどれだけ深く、多様に感じ取ることができるか」ということにも繋がると思います。
人によって視点は様々です。
透明なものが嫌いな人もいると思います。
だからこそ、その視点の深みや多様性を感じ取ることで自分という存在がより深く理解できるのではないだろうか。
「探究」や「学び」というのは、なんでもない日常の情景から何かを感じるための「見る目を鍛える」ことにつながるのではないだろうか。
目の前のことばかりに忙殺されずに、1日数分でも日常をまっさらな目で見てみてください。そこには「探究」のタネがたくさん落ちているかもしれません。
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